2019年08月13日

盆休暇で家族がつかの間の再会。思うこと。

2019.08.13 Tuesday
Goodmorning

 それぞれ独立しているこどもたちが盆休みで帰省。
昨晩は久しぶりに家族全員が揃い、自宅で夕食をともにしました。
 私は、1998年に父親を、2000年に母親を亡くしていますが、父・母・私達夫婦・4人のこどもたちの計8人でのにぎやかな食事の様子が思い出されました。

17年前のBlogに目を通してみました。

人生には限りがあること。
こどもたちとの関係も含めて、自分の人生のまとめも意識しながら、より豊かなシニアライフを過ごしたいと、あらためて感じています。

<17年前のBlogから>
Akahori’s Information Clip №70
http://www.jasnet21.com/~akahori3/70.htm

2002.08.12発行 赤堀三代治
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■「母とすごした夏の時間」
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 うだるような猛暑のなか、明日から旧盆である。外に出て照り付ける太陽に目を細める瞬間、母のことを思い出すひとときがある。

 ひとつは2年前の夏のことである。この年の5月に母が末期の肝臓ガンであることが判明。本人の希望もあり、6-7月は自宅療養するも、病状の進行と痛みに耐えられず、7月末には総合病院の重症患者病棟に入院。自らの命の時間を悟っていたのであろう。7月末に入院のため家を後にした時の淋しげな母の顔が忘れられない。私は家族と交替で看護のため病院に宿泊。そして翌日病院から出勤。そんな日々であった。あの時の母の痛みに耐える顔が太陽の照りつけと重なり、私の心にふと投影される。母はその後昏睡状態に入り、8月29日息を引き取った。平成10年5月に父が80歳と100日で他界したが、母も全く同じ時間を生きぬきこの世を去ったのも母の父への強い思いを感じさせる。父が病院で亡くなったこともあり、母は「私は死ぬ時は家の畳みの上で死にたい」と生前もらしていたが、願いをかなえてあげることは出来なかったとことが悔やまれる。
 
 もうひとつの思い出は、たのしい思い出である。幼少の頃、お盆休みを毎年母の実家で過ごしたこと。母の実家は庵原の奥の伊左布という集落で、大きなミカン農家である。当時ミカン農家は裕福で、水田と蔬菜で生計をたて貧しかったわが家とは経済状態がまったく異なっていた。母方の祖父からおこづかいをもらえたこと。当時家では食べれなかったごちそうを食べれたこと。そして何よりも、きれいで冷たい川で遊べたこと、セミとりやカブトムシがたくさんとれたこと。家の中まで入ってきたホタルのあたたかな輝き。楽しい思いでばかりである。お盆がくることが待ち遠しくて、バスに乗り母の実家へでかけた時のあの心のときめきを忘れることはない。

 大人になってからは、私の言動にうるさく干渉してくる母の存在がうとましく、正直なところうんざりしていた時期もあったが、今となってはそれもひとつの思い出である。

 自らが50歳を過ぎた今。自分のこどもたちとどういう時間の共有できてきたか、これからどういう形でこどもたちと関わっていくのか。ふと考えさせられるこの頃である。人間はいつかは必ず死を迎える。自分がこの世から去った後、どんなんかたちでこどもの心に自分の姿を残すことができるか。今は亡き父や母は、思い出をとおして、私にそっと教えてくれている気がしてならない。



ドクタービレッジ.jpg






posted by miikun at 10:17| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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